700年の時を経て蘇る。幕末の志士が愛す"楠木正成"の写真展開催。
本日のお題は、
如意輪寺と楠公さん。
本プロジェクトにご興味を持ってくださり、
ありがとうございます。
さて、写真展開催まで、楠公さんに関する
様々な情報やマメ知識を、新着情報として
伝えしておりますが、
その更新頻度が、
「毎日UPします!」
↓
「2日に一度にしました!」
↓
「週に一度になりました…。」
と、
どんどん、少なくなり、
書く書く詐欺 に近づきつつある、
今日この頃ですが、
そこは恐れず、
しれっとUPさせて頂きます!
さて、本日のお題は如意輪寺と楠公さん。
如意輪寺は、我らが南朝の根拠地である、
奈良県吉野町にある古刹でして、
楠公さんファンであれば一度は訪れたい、
観心寺や湊川神社と並ぶ聖地の一つであります。
太平記に如意輪寺が登場しますのは、
太平記、巻26の「正行、吉野へ参る事」
(ちなみに、正行は「まさつら」とよみます。
楠公さんの長男であります)
が有名であります。
「桜井の別れ」で父が決死の戦に出陣する際、
父が討ち死を覚悟されているなら、
自分も一緒に父と出陣し、武士らしく
討ち死にしたい、
と申し出る我が子に、
楠公さんは、母の元に戻るように、
と、さとします。
「早く成長して、天皇をお守りするように。
一時の恩賞につられて、
長年の楠木家の忠義の歴史を忘れぬよう。」
と。
そして、その後、立派に成長した正行は、
父の遺言を守り、活動を開始し、宿敵足利氏を相手に連戦連勝。
後醍醐天皇の御子、後村上天皇にお仕えをし、
その短い生涯を終始一貫、南朝のために、費やします。
やがて、機が熟し、
父の敵、高師直との一戦に望むのです。
そして、父と同じく、決死の戦に出陣する前、
当時、南朝の皇居のあった吉野を訪れ、
後村上天皇に最後のご挨拶をし、
如意輪寺を訪れるのです。
ここはやはり、太平記の原文が泣かせます。
是非、原文で。
::原文パパ
おっと、
パパじゃなくてママでしたね!
(意味なく爽やかに)
「今度の軍議難儀なれば、
討ち死につかまつる暇を申して、
如意輪堂の壁板におのおの名字を
過去帳に書き連ねて、その奥に、
「返らじと かねて思へば 梓弓
亡き数にいる 名をぞとどむる」
と一首の歌を書留め(中略)
その日吉野を打出て、敵陣へとぞ向いける。
とこんな感じです。
この辞世の和歌がいいですよねえ。。
梓弓とは、
神事や出産などの際、魔除けに鳴らす弓
ですが、
そもそも「梓」とは、
現代風にいうと、「正義」という
ニュアンスもあるのですね。
でも、これを教科書風に、現代語に訳しますと、
非常に味気なくなってしまいます。。。
古典は、意味はわからなくても、
そのまま味わうのが良いんですよ。
古典を現代語訳するっていうのは、
ミッキーマウスの中身を知りたがるようなものです。
ディズニーは、ディズニーのまま、
そのまま、その世界観に浸るのがいいんですね。
ですが、意味がわからないと、
最近では相手にされない風潮がありますから、
ここでは、思い切って、
現代語を飛びこえて、
楠木正行、辞世の歌を、
60年代風の、「理由なき反抗」風に、
訳してみたいと思います。
::原文パパ
(しつこい)
次の戦は容易じゃねえ。
だから、ミカドに、
最期のお別れをお伝えしたのさ。
そして、死亡者名簿に名字を書いて、
如意輪テンプルの扉に、こう刻んだのさ
♪
戻るつもりは、始めからないのさ
俺は、この弓だけを、
このジャスティスの弓だけを信じているんだ
この弓は、ノアの方舟
一直線に、聖地を目指す
だけどもう、俺は、地獄にいる
だから、地獄にいるんだ
だからせめて、みんなの名前と
俺の名前を
この扉に、このテンプルの扉に
刻みたいのさ
♪
泣けますねぇぇぇ
とても、泣けます。
でも、ここで誰しも思うのは、
なんで、いつも日本のヒーローは、
最期は死んじゃうんだろう???
という疑問です。
いわゆる悲劇のヒーロー、
というヤツですね。
なんで、正義は勝つ、じゃなくて、
悪人づらしたこの人が勝っちゃうのでしょう。
私も昔は散々、この疑問に悩まされました。
なんで勝てないのだろう。
と。
あるいは、なんで、
負けたほうを好きになってしまうのだろう、
と。
オチまで長くなりそうなので、
皆さんはどう思われますか?
というオチで、今日は、ご勘弁を!
(書き逃げ詐欺)
ありがとうございました!
廣田勇介